vol.74
日野の歴史と伝説 慈岳元長尼の墓
梅の名所、百草園の丘から東の方にまっすぐ急な坂を下りますと、まもなく左側の畑ごしに林が見えます。その林のなかに寿昌院殿慈岳元長尼の墓があるのですが、百草園に遊ぶものは多くても、この墓を知っている人は少ないようです。この「おくつき」のぬしこそ、百草園のもとであった慈岳山松連寿昌禅寺を、中興開基された女性です。
彼女は京都の公家の娘で、5代将軍徳川綱吉の大老格として権勢をふるった柳沢美濃守吉保の養女となり、時の老中、大久保加賀守忠明の嗣子・忠増夫人となりました。もちろん、この忠増は父のあとを継いで、小田原11万3千石の城主となり、大久保隠岐守と称して、宝永2年(1705)から正徳3年(1713)に死亡するまで、老中を勤めました。元長尼は、夫の忠増在世中は、閣僚夫人として多くの腰元にかしづかれ、華やかな生活を送ったでしょう。
この未亡人となった元長尼が、荒れはてた増威山(升井山)松連寺を、享保2年(1717)から大改修し、享保6年完成、当時の新興仏教であった黄檗宗の禅寺としたものと思われます。
江戸名所図会は、この元長尼を大久保加賀守忠英(忠方と改名)夫人としていますが、これは誤りです。小田原城主となった息子の忠英が、仏門に入った母の余生を送る松連寺と、その寺が管理していた百草八幡の造営に力をそそいだことは当然でしょう。
筆者:文化財専門委員 土淵英夫
原稿:
広報ひの昭和47 年 11 月 15 日号より転載
『追加画像データ』
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『参考資料・URL』
土淵英夫著作集 八坂の杜から−多摩郷土史研究

