vol.45
日野の伝説 遠藤祭りと和泉塚
むかし、遠江の国の出身で遠藤和泉守藤原義久という人が、高倉新田に住んでいたそうです。たまたま、豊田村と川辺堀之内村とが境界を争い和泉守義久は豊田村のため、ある夜こっそりと、その境界に桜炭を埋めたというのです。それが発覚して、和泉守は川辺堀之内村に捕えられ、ハリツケに処せられて、豊田村のための犠牲者となりました。この義人のために築かれたのが、現在の多摩平東側の和泉塚であると伝えられています。
和泉守を一度は逃がしてくれた人があったそうですが、エンドウ畑に逃げこんでその豆づるに足をとられて捕えられたというので、それ以来遠藤家ではエンドウ豆を栽培しないこと、そして食べないこととなったといわれます。
さらに和泉守のハリツケに松がつかわれたので、遠藤家では正月の松かざりはしないこと、庭に松を植えないことになっているそうです。
善生寺の近くには、小祠(写真)が建立され毎年4月17日に遠藤祭りといって、遠藤一族があつまり、祖先の冥福を祈っています。この事件に関係の深い川辺堀之内の旧家では、正月の3日に事件落着の手打ちを記念して、お汁粉を作って祝う家があるとのことです。
以上の伝説は、どこまでが伝説で、どこまでが史実か旧家の古文書、もしあれぼ金石文など、調べたいものです。
筆者:土淵英夫
原稿:
広報ひの昭和45 年 04 月 15 日号より転載
本文添付画像の説明:原本掲載写真
『追加画像データ』
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| ・京王バス(日野駅〜豊田駅) 泉塚下車 ・市内ミニバス旭が丘路線・南平路線・ (高幡不動駅〜平山城址公園駅) 泉塚下車 |
遠藤家の裏山にある祠。昭和57年には「遠藤和泉権現碑」が一族により建立され裏面にはこれにまつわる説明も記されてあります。【2003.07】 |
『参考資料・URL』
・広報ひの縮刷版 第100号〜第299号 昭和35年4月から昭和46年7月まで
・土淵英夫著作集 八坂の杜から−多摩郷土史研究−


