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vol.17

第2部 駒形明神社

 市内川辺堀之内の中央の小高い丘の上に、小さなひなびた祠【ほこら】が、ひっそりとしたたたずまいを見せております。
 もとの地主で、その祠のすぐ南に住む阿川さんのお話では、昔この辺にたくさんの馬が飼われていたそうです。

川辺堀之内の駒形神社

 その頃、府中では毎年一度、多摩地方の馬を集めて駒競【こまくらべ】が行われていたといいます。その駒競には、毎年この辺の馬が最上位に選ばれていたそうです。ところがある年のこと、例の駒競の時参加した馬が何に驚いたのか突然、府中の駒競の場所から逃げ出して、一目散に堀之内へ逃げ帰ったそうです。ところが疲れ切った馬は、飼主の元へたどり着くと、バッタリと倒れてそのまま息を引きとったということです。そこで村人がたいへん哀に思い、小さな社を建てて馬の霊をまつり、なぐさめたのがこの駒形明神であるといわれています。

日本各地にみる駒形明神

 駒形明神社は、新篇武蔵風土記稿には「勧請ノ年代詳ナラズ。神領九畝十歩ノ除地アリ、山平別当延命寺持」とあります。いつの時代に建立されたかは不明であるとありますが、除地(租税を免除された土地)九畝十歩(二百八十坪)を許された小社です。
 駒形明神は、日本のあちこちにありますが、その多くは牧場に関係の深い神社のようです。
 たとえば、長野県の佐久にある望月町にも駒形神社があります。ここは、望月の牧という官牧が奈良時代にありました。この牧の指導者は、朝鮮からの帰化人であったために、その人々の慰霊のために作られたのが高麗方【こまがた】神社で、後に馬との関係もあって、駒形神社と書くようになったといわれています。
 また柳田国男の「遠野物語」で有名な遠野にも、たくさんの駒形神社がありますが、遠野も有名な馬の産地です。

馬にかかわる歴史があった

 いずれにしても、川辺堀之内に駒形明神があるということは、昔、この辺一帯に馬が多く飼われていたことの証しといえましょう。また、この川辺堀之内には、他の部落よりも数多くの馬頭観世音の石碑が見られるのも、馬の飼育と深いつながりがあったと思われるものです。
 また、天正の頃「川辺十騎衆」とよばれる乗馬に得意な野武士団がいたということですから、やはりこの辺は、馬が早くから飼われていた所に違いありません。
 この川辺堀之内の北から西にかけての高台(現在の神明上地区や吹上地区)は、日当りのよい湧水の多い土地柄のため、縄文時代、弥生時代、古墳時代、奈良時代の各住居跡や、遺物が多く発見されています。中でも丸硯【すずり】がここからたくさん出土しています。この硯は、昔、牧場がここにあって、それをとりしまっていた役人が、馬の頭数を記録するなどのために、使っていたものだといわれています。そして、駒形明神は、その頃、牧場の指導者として、朝鮮から帰化して来た人々の霊をまつった高麗方神社ではないかと思います。


筆者:日野史談会提供
原稿: 広報ひの昭和53 年 02 月 15 日号より転載


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